80年代の音楽を語るうえで、「ベストヒットUSA」を欠かすことはできません。アメリカのヒットチャートをMV(ミュージックビデオ)とともに紹介する番組で、1981年からテレビ朝日で放送が始まりました。
それまで、洋楽を映像で本格的に紹介する番組はほとんどありませんでした。唯一、NHKで「ヤング・ミュージック・ショー」が不定期に放送されていたくらいで、毎週本格的にランキングを発表する洋楽番組はこれが初めてだったのです。
タイトルに「USA」と入ってはいるものの、チャートを賑わせていたのはアメリカの楽曲だけではありませんでした。『99 Luftballons(ネーナ)』のようにドイツ語で歌われた曲がヒットしたように、ヨーロッパやオーストラリアなど、世界中の楽曲がベスト10にランクインしていたのです。
オーストラリアからはメン・アット・ワークやミッドナイト・オイルが登場して人気を博し、イギリスからはスパンダー・バレエ、カルチャー・クラブ、デュラン・デュランといったムーブメントを象徴するバンドが次々とブレイクしていきました。そしてもちろん、マイケル・ジャクソンの存在も忘れてはなりません。
そう考えると、80年代はまさに洋楽ポップスの黄金期だったと言えるのではないでしょうか。
日本での80年代洋楽ポップスをまとめると以下のようになります。
1980年代の洋楽ポップスは、日本においても空前の大ブームを巻き起こした音楽の黄金期でした。FMラジオや音楽番組、そして何よりも「MTV」の本格的な上陸・普及によって、音楽は「耳で聴くもの」から「目でも楽しむスタイリッシュな映像芸術」へと大きく変わり、日本の若者たちのライフスタイルやカルチャーに決定的な影響を与えました。
メディアの革新と「ベストヒットUSA」の熱狂 当時の日本で洋楽ブームの火付け役となったのが、小林克也氏がDJを務めた深夜の洋楽番組『ベストヒットUSA』でした。テレビ画面を通して流れる海外アーティストたちの洗練されたPV(プロモーションビデオ)は、日本のリスナーに強烈なインパクトを与えました。また、カセットテープへのエアチェック(ラジオ録音)が日常茶飯事に行われ、毎週の全米ヒットチャートの動向に一喜一憂する文化が定着しました。
日本で絶大な人気を誇ったスターたち
マイケル・ジャクソン :アルバム『スリラー』の大ヒットとともに来日を果たし、日本中が社会現象レベルの熱狂に包まれました。彼のダンスやファッションは多くの日本人に模倣されました。ワム!(Wham!) :ジョージ・マイケルとアンドリュー・リッジリーによるデュオ。「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」などのポップで弾ける楽曲や甘いルックスで、日本のティーンエイジャーを中心に絶大な支持を得ました。デュラン・デュラン :端正なルックスで「ニューロマンティック」ムーブメントを牽引し、日本のCMにも出演するなど、当時のファッションや音楽シーンのアイコンとして崇拝されました。 やマドンナ :強烈な個性と自由な自己表現、ポップでカラフルなファッションが日本の女性層に強くインスピレーションを与えました。シンディー・ローパー
日本の音楽シーンへの波及 80年代の洋楽ポップスが持つ、シンセサイザーを多用した透明感のあるサウンドや緻密なアレンジメントは、のちの日本の「シティポップ」や、アイドル歌謡曲、J-POPの進化にも多大な影響を与えました。
時代を超えて今なお色褪せないメロディと圧倒的なエンターテインメント性を持った80年代洋楽は、当時の思い出とともに、日本における永遠のマスターピースとして愛され続けています。

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