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2026年11月1日日曜日

洋楽至上主義だった私が荒井由実に魅了された日――初期3部作の衝撃と「名前」を巡る考察

 洋楽ばかりを追いかけていた私が、邦楽の持つ洗練された響きに初めて心から打ちのめされた原点は、荒井由実の初期アルバムにあります。


今回は、日本のポップス史に燦然と輝く彼女の初期3枚のアルバムを振り返りつつ、プロデュースの背景や、のちに松任谷姓となってからの軌跡、そして「名前とアイデンティティ」について感じたことを綴ります。


衝撃を受けた荒井由実の初期3枚

それまでの私は洋楽を中心に聴いており、当時の一般的な邦楽(フォークや歌謡曲)に対してはどこか距離を置いていました。そんな価値観を一変させたのが、友人から借りて聴いた荒井由実の初期3枚のアルバムでした。


驚いたことに、捨て曲が一つもないどころか、収録されたすべての楽曲が完璧に自分の趣味に合致していたのです。従来の日本の音楽にはなかったコード進行や情景描写、洗練されたアレンジ。そこには圧倒的な都会的センスが溢れており、一瞬で魅了されてしまいました。


事実として、この初期3作品は日本のニューミュージックの礎を築いた名盤として記録されています。


1stアルバム:『ひこうき雲』


発表年月:1973年11月


概要:キャラメル・ママ(細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆)がバックを務め、表題曲「ひこうき雲」をはじめ、早熟な死生観とリリカルな世界観が際立つデビュー作。


2ndアルバム:『MISSLIM(ミスリム)』


発表年月:1974年10月


概要:「生まれた街で」「やさしさに包まれたなら」「12月の雨」などを収録。シュガー・ベイブの山下達郎や大貫妙子らがコーラスで参加し、ポップスとしての完成度をさらに高めた2作目。


3rdアルバム:『COBALT HOUR(コバルト・アワー)』


発表年月:1975年6月


概要:「卒業写真」「ルージュの伝言」といった国民的ヒット曲を収録。ドライブ感のあるサウンドとともに、都会的でハイカラなリゾート感覚や若者文化を描き出した傑作。


プロデューサーの意図と「声」の変遷

以前、NHKのドキュメンタリー番組(※私の記憶によるものですが)で、興味深い制作背景が語られていたのを覚えています。


初期の3枚を手がけたのは、音楽プロデューサーの村井邦彦氏でした。番組内の証言によれば、当時の荒井由実は天然のビブラートがかかった特徴的な声をしており、制作陣はそれを矯正するためにボイストレーニングを受けさせていたといいます。端正でフラットな歌唱を求めるプロデューサーの美学が、初期作品の独特な透明感を生み出していたのかもしれません。


その後、松任谷正隆氏と結婚して「松任谷由実」となってからの楽曲を聴くと、彼女本来のビブラートを隠すことなく、むしろ個性として前面に出して歌っているように感じられます。表現者としての成熟に伴い、自身の資質をありのままに活かす方向へとシフトしていったのではないかと推測しています。


松任谷由実への移行と「名前」を巡る私見

結婚して「松任谷由実」となってからは、私自身、学生時代のようにアルバム単位で通して聴く機会は減りました。それでも、街やメディアから流れてくる数々のヒット曲には好きな曲が多く、現在でも邦楽の中では比較的よく聴くミュージシャンの一人であり続けています。


ここで改めて考えさせられるのが、「名前」という存在についてです。


通常、音楽業界において「荒井由実」という圧倒的な知名度とブランドを確立していれば、結婚後も活動名義としてそのまま旧姓を使い続けるのが合理的と考えられがちです。しかし彼女は何の躊躇もなく名字を「松任谷」へと変えました。そして周知の通り、松任谷由実名義となってから、前名義をさらに上回る前人未到の実績を積み重ねていきました。


昨今、選択的夫婦別姓などを巡る議論の中で、「名字が変わることで自分のアイデンティティが失われてしまう」と主張する声を耳にすることがあります。


しかし、荒井由実から松任谷由実への歩みを見ていると、改名によって実際に失われる可能性があるのは、外向けに認知された「単なる知名度や記号」に過ぎないのではないかと思わされます。


個人の本質、作品に宿る美意識、そして積み上げていく才能――そうした真のアイデンティティは、名字が変わった程度で揺らぐような薄っぺらなものではありません。名前というラベルが変わったくらいで簡単に消失してしまうようなアイデンティティであれば、それは最初から大した実体のないものであり、失われたところで本質的な影響はないのではないか。彼女の堂々たるキャリアを振り返るたび、個人的にその感を強くします。


名盤『ひこうき雲』から半世紀以上が過ぎた今も、彼女の音楽が色褪せないのは、名前という器に依存しない圧倒的な表現力そのものが存在し続けているからに他なりません。

眠れない夜は穏やかなBGMがおすすめです。



2026年10月24日土曜日

ドノバンは好きなミュージシャンの一人です。当時は、彼独特の特徴的な声とアコースティックギターの弾き語りスタイルに強く惹かれました。当時のキャッチフレーズは「現代の吟遊詩人」でしたが、まさにその名に恥じない名曲を数多く残しています。

  • Sunshine Superman(1966年):全米1位を記録したサイケデリック・フォークを代表する名曲。

  • Mellow Yellow(1967年):軽快でポップなサウンドが世界的に大ヒットした代表作。

  • Catch the Wind(1965年):フォーク歌手としての地位を確立したデビューシングル。

  • Atlantis(幻のアトランティス / 1969年):全米7位、全英23位を記録したエキゾチックなナンバー。

  • The Hurdy Gurdy Man(1968年):ハードロック的なアプローチを取り入れた神秘的なヒット曲。

  • Jennifer Juniper(1968年):可憐でメロディアスなフォーク・ポップ曲。

上記の曲はどれも好きですが、これら以外にも「Riki Tiki Tavi(リィキ・ティキ・タビ)」という楽曲があります。後年にロックバンド形態で発表された「ケルティック・ロック」のB面(またはカップリング)に収録されていた曲で、初期の吟遊詩人スタイルとは異なるサイケデリック・ロック調のサウンドですが、こちらも非常に気に入っています。

この「リィキ・ティキ・タビ」というタイトルは、ハインラインのファンであれば誰もが名作小説『夏への扉』に登場する文化(または猫の元ネタ)を連想するはずです。元をたどればキプリングの『ジャングル・ブック』に登場するマングースの名前のようですが、さすがにそこまでの記憶はありませんでした。

ちなみに『夏への扉』に登場する猫の名前は、初期の日本語訳では「護民官ペトロニウス」と訳されていましたが、後に「審判者ペトロニウス」に変更されたようです。いずれにせよ、最近までずっと「ペテルギウス」だと勘違いして覚えていた自分にとっては、どちらでも大きな違いはありません(笑)。

また、「The Hurdy Gurdy Man」は、アニメ『無職転生』に登場する魔神「バーディガーディ」の元ネタではないかと推测しています。このように様々な文化に影響を与えたドノバンですが、個人的にはNHKのドラマ挿入歌として使われた「River Song(リヴァー・ソング)」も強く印象に残っています。

つげ義春原作の『紅い花』を実写化したドラマで、美しい川の映像とともに流れていました。コード進行やフレーズもそれほど難しくなかったので、自分でもアコースティックギターでコピーして弾いた思い出深い一曲です。

※ケルティックロックは異世界によくマッチしています。



2026年10月20日火曜日

コミックソングは洋の東西を問わず大人気?!

洋の東西を問わず、笑いを誘う音楽は大ヒットすることがあります。音楽は感情を揺さぶるものだからこそ、喜怒哀楽に直結しており、その「喜」の中に「笑い」が含まれることは言うまでもありません。

洋楽好きとしては、海外のコミックソング(ノベルティソング)を挙げたいところですが、パッと思い浮かぶものはそう多くありません。その中で強く記憶に残っているのは、アル・ヤンコビックの「Eat It」です。これはマイケル・ジャクソンの大ヒット曲「Beat It」のパロディであり、替え歌でもあります。ミュージックビデオで彼が着ている赤いジャケットは、マイケル本人から贈られたものだと聞いています。まさに本人公認の完璧なパロディソングでした。

もう一人記憶に残っているのは、スキャットマン・ジョンの「Scatman (Ski-Ba-Bop-Ba-Dop-Bop)」です。独特なスタイルですが、キャッチーなメロディに高速のスキャットを乗せた非常に軽快なヒット曲でした。

一方、日本にはかつて「コミックバンド」と呼ばれるジャンルが存在していました。古くはハナ肇とクレージーキャッツが挙げられます。彼らはテレビで冠番組を持ち、コントやギャグを披露しながら「スーダラ節」や「ハイそれまでョ」といった数々のコミックソングをヒットさせました。メインボーカルの植木等さんのインパクトも強烈です。

クレージーキャッツの楽曲の多くは、当時放送作家だった青島幸男さんが作詞を手掛けていましたが、のちに東京都知事に就任したことには大変驚かされました。選挙運動をほとんど行わない独自のスタイルでも有名でした。

そのクレージーキャッツの後継とも言える存在が、ザ・ドリフターズです。ビートルズの来日公演で前座を務めたエピソードは有名ですが、長年にわたりゴールデンタイムで冠番組を持ち続けたことからも、当時の爆発的な人気の高さが伺えます。彼らのヒット曲「いい湯だな」は、近年ゲーム内で使用されたことをきっかけに、再び若い世代からも注目を集めていました。

日常に音楽があるだけで心は豊かになりますが、たまには思わず吹き出してしまうような笑える音楽も、私たちの生活には欠かせないのかもしれません。

※初めて作ったノベルティソング