Translate

2026年10月5日月曜日

驚かせ方と演出の妙:定番ホラーからJホラー、そして映画の歴史まで

ホラー映画の醍醐味は「驚きを楽しむこと」にあり、それは特にアメリカに代表される欧米の傾向と言えます。殺人鬼が突然現れたり、殺害手法に趣向を凝らしたりする作品が多いのがその証拠です。

『13日の金曜日』や『エルム街の悪夢』などはストーリーのパターンがほぼ固定化されているため、いかに斬新な殺害方法で驚かせるかが勝負どころとなります。近年では、こうした手法に加えて常軌を逸したシチュエーションで恐怖を煽るホラー映画も増加しています。『ソウ』はその典型例で、登場人物を強制的にゲームへ参加させるという当時としては画期的な手法が取り入れられました。もっとも、こうしたシリーズも続編を重ねるにつれてゲームの内容を過激にエスカレートさせるしかなくなるという宿命を抱えています。

一方で、『ファンタズム』のように独自のシュールな世界観を持ち、先の読めない展開で人気を博した作品もあります。また、イギリスのホラー作家クライブ・バーカー原作の『ヘルレイザー』も、シリーズ化されてコアなファンを獲得しました。こちらは地獄の門が開く立方体のパズルを軸にしたストーリーや設定に特徴があります。『13日の金曜日』のジェイソンや『エルム街の悪夢』のフレディのように、強烈な個性を持つメインキャラクターの人気が確立されたことも、熱狂的なファンを生んだ大きな要因です。『ヘルレイザー』においても、パズルそのものに加え、頭部に無数の釘を刺した「ピンヘッド」という悪魔的キャラクターが絶大な人気を誇りました。(ちなみに、ホラー小説集『血の本』を手掛けたクライブ・バーカーは、個人的にもお気に入りの作家の一人です)

なお、かつて耳にした記憶がある印象的な作品として、とある村落で毎年行われる奇祭を描いたものもあります。人々が結集して巨人の形を作りねり歩くという不気味なイベントですが、最後には阿鼻叫喚の結末が待ち受けているという、想像するだけで奇妙な雰囲気に包まれたストーリーでした。

これに対して、日本を代表するホラーである怪談は、ストーリー自体はほとんどの人があらかじめ知っており結末も明らかです。それでも昭和の時代には何度も映像化され、一定の人気を博しました。これは、物語の筋書きそのものよりも、演出や独特の雰囲気を楽しむ文化的土壌があったからこそ、何度でも受け入れられたのだと考えられます。

そうした怪談のなかでも、テレビ番組『日本名作怪談劇場 牡丹燈籠』の終盤のシーンは、類を見ない演出で視聴者の心に強いトラウマを刻みました。「夜明けまで家を出てはならない」と言われた主人公が、偽りの夜明けに欺かれて外へ出たものの、実際にはまだ真っ暗闇だったという場面です。それに気づいた瞬間、上から長い髪の女の幽霊が突如として降下してきて顔を合わせるという演出が仕掛けられていました。

定番の『牡丹燈籠』だと思って油断していた視聴者の予想を鮮やかに裏切るアプローチだったからこそ、トラウマ級のインパクトを残すことができたのです。このように、演出次第でマンネリ化したストーリーであっても、十分に新鮮な息吹を吹き込むことができます。

海外でも広く知られる『リング』の貞子も、「テレビ画面の中からはい上がってくる」というそれまでのホラーの常識を覆すアイデアで大ヒットを記録しました。ホラー映画はワンパターンで退屈だと敬遠している人でも、こうした演出の細かな違いに着目すると、新たな恐怖や面白さを発見できるかもしれません。

ホラー映画の歴史

  • 黎明期(1890年代〜1930年代):ジョルジュ・メリエスによる『悪魔の荘園』(1896年)などの初期フレンチ・ホラーを発端とし、その後1930年代にはユニバー・スタジオが『ドラキュラ』や『フランケンシュタイン』といった古典怪奇映画の黄金期を築きました。

  • 変革期(1960年代〜1970年代):アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』(1960年)や、ジョージ・A・ロメロ監督の『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(1968年)が登場。現実社会の恐怖や残酷さをリアルに描き出し、モダンホラーの基礎が作られました。また『エクソシスト』(1973年)などのオカルトブームも到来しました。

  • スラッシャー・ブーム(1970年代末〜1980年代):『ハロウィン』(1978年)や『13日の金曜日』(1980年)など、殺人鬼が若者たちを次々と襲うスラッシャー映画やスプラッター映画が量産され、一大ジャンルとなりました。

  • Jホラーとファウンド・フッテージ(1990年代〜2000年代):『リング』(1998年)や『呪怨』(2000年)などのJホラーが国内外でヒットし、ジワジワと迫る恐怖や怨念の表現が注目されました。また『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999年)以降、ドキュメンタリー風の映像手法(ファウンド・フッテージ)も流行しました。

  • 多様化とニューウェーブ(2010年代以降):『ソウ』や『死霊館』ユニバースに代表されるシチュエーション・スリラーやエンタメ系ホラーに加え、A24などのスタジオが手掛ける芸術性の高い「アート・ホラー(スマート・ホラー)」など、多様なアプローチの作品が次々と生み出されています。

※夜とホラーは切っても切り離せませんが、せめて現実の夜は穏やかに過ごしましょう



2026年10月3日土曜日

 

ジャズに対するイメージは人それぞれですが、個人的には若い頃に行ったジャズ喫茶のイメージが強く残っています。と言っても友人に連れて行かれたのが最初で、その頃は特別ジャズが好きだったわけではありませんでした。その友人は古いジャズ(今と比べてですが)が好きで、よくジョン・コルトレーンやマイルス・デイヴィスなどを聴いていました。

最初はとっつきにくかったのですが、次第に「ジャズも気持ちが落ち着いていいな」と思うようになりました。その友人とは大学は違っていましたが、大学時代も相変わらずジャズが好きで、ある時「大学の音楽祭でウェザー・リポートの『バードランド』を演奏した」という話を聞きました。

当時、偶然にも私もウェザー・リポートのライブを観に行ったばかりだったので、強く共感した記憶があります。「バードランド」は、実在したニューヨークの有名なジャズクラブの名に由来する曲です。曲の後半ではテンポが上がっていき、やがて軽快な演奏になっていきます。ジャズのコーラスグループであるマンハッタン・トランスファーがこの「バードランド」に歌詞をつけ、ラストの怒涛の展開まで見事にボーカルで表現していたのには実に驚かされました。

ウェザー・リポートの中で特に好きだったミュージシャンは、ベースのジャコ・パストリアスでした。フレットレスベースを駆使し、独特の美しい音を響かせながら軽やかに演奏する姿が非常に印象的でした。

ジャズピアニストでは、チック・コリアやキース・ジャレットをよく聴いていました。中でもキース・ジャレットがソロ・コンサートで披露した即興演奏を収めたアルバム『ザ・ケルン・コンサート』には、深い感銘を受けたことを覚えています。

セロニアス・モンクも有名なピアニストですが、私にとっては筒井康隆の短編「裏小倉」に出てくる百人一首のパロディ、「せろにあす もんくのかたを ながむれば ただあねだけが うれのこりける」の印象が強く、まるで枕詞のように記憶に残っています。

また、ジャズにまつわるエピソードで思い出すのは、タモリさんとその友人であるジャズミュージシャンのお話です。そのミュージシャンがアフリカの民族衣装を着て、アフリカの使節団のふりをして列車に乗った時のこと。子連れの母親から「アフリカの数の数え方」を聞かれ、適当な出鱈目(でたらめ)を教えてやり過ごそうとしたそうです。しかし、その母親から「あのー、すみません。もう一度お願いします」と聞き返され、二度と同じ言葉を再現できずに逃げ出すしかなかった……という笑話を聞いた覚えがあります。

ロックは体を揺らす動きから発展したジャンルのようですが、ジャズにおいて同じようにリズムに乗って揺れることは「スウィングする」と表現されます。

筒井康隆の小説に『ジャズ大名』という作品があります。幕末の日本に漂着したアメリカのジャズ・ミュージシャンが城の地下牢に収監され、そこでジャズの演奏を始めたことから、やがて大名や家臣、周囲の人々、さらには和楽器まで巻き込んだ狂乱の一大セッションへと発展し、そのまま明治維新を迎えてしまうというあらすじです。和服姿の人々がジャズセッションに加わり、夢中でスウィングしている姿を想像するだけで笑ってしまいました。

私にとって音楽としてのジャズは、激しくスウィングするというよりも、気分が落ち着くBGMのような存在です。熱狂的なジャズファンではないからかもしれませんが、だからこそ心地よく聴くことができるのかもしれません。

BGMという存在は、心地よく流れていく風のようなものです。何かに集中している時にはその邪魔をせず、そっと気持ちをリラックスさせてくれます。





2026年10月1日木曜日

外見と声がまるで一致しないミュージシャンは意外に多いものです。これはルッキズムによる偏見ではないと断言しておきますが、優しそうな顔をしていて声が大きく乱暴だったというギャップは日常でもあり得ることです。

特に60年代は今ほど外国人ミュージシャンの動画がなかったので、写真を見るだけでは歌声まで想像できませんでした。日本人歌手はヒット曲があればTVによく出ていたので顔と声が一致しますが、それでも菅原洋一さんや小椋佳さんなどは、外見からの想像を超える美声で有名でした。

洋楽のミュージシャンで個人的にギャップを感じたのは、ギルバート・オサリバンでした。彼は当初、髪型がおかっぱに近かったので、あの美しい声のイメージが湧かなかったのです(おかっぱの人はごめんなさい)。ギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」や「ゲット・ダウン」は、アニメや実写映画でも使われていました。

もっとも「アローン・アゲイン」は、映画ではテーマソングでしたが、アニメでは歌詞の内容が物語にそぐわないため、一度しか放送されなかったようです。

もう一人ギャップを感じたミュージシャンは、クリストファー・クロスです。写真だけを見るとおじさんにしか見えないのですが、歌声は「美声」と呼ぶにふさわしい素晴らしい声質です(おじさんの皆さんごめんなさい)。

クリストファー・クロスには、「風立ちぬ(Ride Like the Wind)」「セイリング(Sailing)」「ニューヨーク・シティ・セレナーデ(Arthur's Theme (Best That You Can Do))」などの名曲があります。どれも美しい曲で今でも大好きです。

見た目と声のギャップについて語ることは、一見すると見た目をけなしているように聞こえてしまうかもしれませんが、むしろ「声の素晴らしさを強調している」と捉えてもらえると助かります。ミュージシャンに限らず、人間には良いところと悪いところがあるのが自然です。悪い点をカバーできるほど良い点を育てていけば、短所も気にならなくなります。それを体現したのが、前述のミュージシャンたちなのかもしれません。

「ギャップ萌え」という言葉があるくらいなので、ギャップそのものは必ずしもマイナスの評価ではありません。しかし、時にはそれが大きな賛否両論を巻き起こすこともあります。

例えばメタルには、他のジャンルを取り入れたサブジャンルがたくさん存在します。「プログレッシブ・メタル(Progressive Metal)」「メタルコア(Metalcore)」「ニュー・メタル / ラップメタル(Nu Metal)」などのほかに、「ヴァイキング・メタル(Viking Metal)」や「ニンテンドーコア(Nintendo Core)」まであります。

そうした中でBABYMETALが登場した際、大きな賛否両論が巻き起こったのは、「かわいらしいアイドル風のボーカル」があまりにも従来のメタルミュージックと異質に思えたからでしょう。

しかし正統派のメタルエリートにとって皮肉なことに、この賛否両論があったからこそBABYMETALの認知度は一気に高まりました。「1年も持たない」とまで言われたBABYMETALですが、10年以上が経過した今も第一線で活躍し続けています。単純な話、自分の好みに合わない音楽は聴かなければいいだけで、頭ごなしに批判する必要はまったくありません。

今では日本のガールズバンドやメタルシーンが世界的に見てもますます盛況ですが、この流れにはBABYMETALの世界的な活躍も大きく影響しているのではないでしょうか。

※今回の動画はブログの内容とは無関係ですが、これもギャップ萌えということで。