60年代から80年代の日本には、「歌謡曲」というジャンルがありました。歌謡曲は、作詞・作曲の専門家がいて、歌手に曲を提供するというシステムが基本だったため、J-POPのようにミュージシャン自身が作詞・作曲をするのではないという特徴があります。
60年代には、今でいうバンドの形態をとっていた「グループ・サウンズ」と呼ばれるジャンルもありましたが、これも歌謡曲と同じように、作詞家・作曲家が曲を提供していたため、実質的には歌謡曲に含まれるものと考えられます。
ただし、フォークソングと呼ばれていたジャンルや、後期のグループ・サウンズでは、自作の曲を発表するミュージシャンもいました。歌謡曲と区別するために、「シンガー・ソングライター」という言葉も使われていました。
自作ではないからといって、歌謡曲を否定しているわけではありません。名曲も数多くあり、何より分業というシステムには、理にかなっている部分もあったからです。
大御所の作詞家・作曲家が少なくなったとはいえ、他のミュージシャンに曲を提供するというシステムは、今でも存在しています。
歌謡曲の分業制について詳しく調べてみました。
昭和の音楽シーンを支えた歌謡曲の黄金期は、作詞家、作曲家、編曲家、そして歌手がそれぞれの専門分野を分担する「分業制(プロフェッショナル作家主義)」によって成り立っていました。レコード会社や音楽プロデューサーの統括のもと、ヒット曲を効率的かつ組織的に生み出すこのシステムは、日本の大衆音楽の質を飛躍的に高めました。
役割分担による高いクオリティ
分業制の最大の強みは、各工程のプロフェッショナルが持ち場に専念できる点にありました。
作詞家:阿久悠、なかにし礼、松本隆などの名だたる作家たちが、時代を映すドラマチックな詩や大衆の心をつかむストーリーを構築しました。
作曲家:筒美京平、都倉俊一、遠藤実らが、耳に残るキャッチーかつ芸術性の高いメロディを紡ぎ出しました。
編曲家(アレンジャー):馬飼野康二や船山基紀らが、海外のポップスやディスコ、オーケストレーションの要素を取り入れ、楽曲の音楽的な世界観や彩りを決定づけました。
この体制により、歌手は「歌唱・表現」に全力を注ぐことができ、アイドルから本格派の演歌・歌謡歌手まで、個性を最大限に引き出された楽曲が次々と世に送り出されました。
工業的なヒット曲の生産とクオリティの均衡
レコード会社が主導するこのシステムは、マーケティングやリスナーの流行を緻密に計算しながら楽曲を量産する、いわば「高品質な音楽の工業生産システム」でもありました。作家同士のライバル関係や、プロデューサーによる厳格な品質管理が働いていたため、商業的なヒットを狙いつつも、音楽史に残る芸術的な名曲が数多く誕生しました。
ニューミュージックやJ-POPへの移行
1970年代後半から1980年代にかけて、自ら作詞・作曲を手がける「シンガーソングライター」や、バンド自身が楽曲制作を行うニューミュージックが台頭します。さらに1980年代半ば以降、自分たちの表現したい音楽を追求するバンドブームや小室哲哉などのプロデューサー台頭を経て、音楽業界の主流は完全な分業制から、アーティスト自身が制作に関わるスタイル、すなわち現在の「J-POP」へと移行していきました。

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