70年代に活躍したクイーンの特徴は、フレディ・マーキュリーのボーカルと、ブライアン・メイのギターにあります。フレディ・マーキュリーのボーカルは伸びのあるしっかりした声で、ブライアン・メイのギターは、当時シンセサイザーと間違われることもあった、特徴的な音色でした。
あまりにシンセサイザーと間違われるため、アルバムには「No Synthesizers(シンセサイザーは使用していません)」とクレジットされていたほどです。
デビューからしばらくは欧米ではそれほど人気がなく、批評家からも酷評されていたクイーンですが、デビュー当時から日本での人気は高く、75年の来日コンサートは大成功でした。
アメリカでも、後に映画のタイトルにもなった「ボヘミアン・ラプソディ」が映画「ウェインズ・ワールド」の挿入歌となったことをきっかけに、人気に火がついたと言われています。
個人的には、デビューからアルバムを買い続けたほど好きなバンドの一つで、特に暖炉に使われていたマホガニーを素材にしたギターの音色が大好きでした。
クイーン自体も日本向けに日本語の曲を発表するなど、親日家でもあったようです。
クイーンと日本との関係を掘り下げてみましょう。
絆の始まり:1975年の初来日
1970年代前半、母国イギリスや全米での評価がまだ確立しきっていなかった頃、日本の音楽雑誌『MUSIC LIFE』などを通じていち早く彼らの魅力を見出したのが日本のファン(特に女性層)でした。
1975年4月、初の来日を果たしたメンバーを羽田空港で迎えたのは、3,000人を超える大観衆の悲鳴と歓声でした。ブライアン・メイが「まるでビートルズになった気分だった」と語るほどの熱狂的な歓迎を受けたメンバーは、一躍大スターとして扱われたことに深く感動し、日本を特別な国として胸に刻むことになります。日本武道館での初公演では、ステージ上で着物を羽織って演奏を披露する場面もありました。
日本への感謝を込めた名曲「手をとりあって」
日本のファンから受けた情熱的な愛に応えるため、ブライアン・メイは1976年発表のアルバム『華麗なるレース』のために楽曲「手をとりあって(Teo Torriatte / Let Us Cling Together)」を書き下ろしました。
この曲のサビには「手を取り合って このまま行こう 愛する人よ」という日本語の歌詞がそのまま取り入れられています。英語圏のトップアーティストが日本語詞入りの楽曲をリリースするのは非常に異例であり、長年にわたり日本のファンへの感謝を伝えるシンボルソングとして愛され続けています。
フレディ・マーキュリーの深すぎる「日本愛」
ボーカルのフレディ・マーキュリーは、音楽活動を通じてだけでなく、プライベートでも熱狂的な親日家として知られています。
美術品・骨董品の収集:ツアーやプライベートで来日するたびにデパートや骨董品店を訪れ、伊万里焼の磁器、伊東深水などの浮世絵、着物などを爆買い(本人は「倒れるまで買え」をスローガンにしていた)していました。
自宅の日本庭園と和室:ロンドンの邸宅「ガーデン・ロッジ」には、日本の職人を呼び寄せて本物の日本庭園を造園させ、錦鯉を飼い、和室まで作らせました。
こだわり:パートナーと忍びで来日した際、お風呂に入ろうとしたパートナーに対し「ここは日本なのだから、体を洗ってから入るのがルールだ」と注意したという几帳面な一面もありました。
現在まで続く絆
フレディ亡き後も、ブライアン・メイとロジャー・テイラーはアダム・ランバートらをボーカルに迎えた「クイーン+アダム・ランバート」として何度も来日公演を行い、そのたびに「手をとりあって」を観客とともに大合唱しています。彼らにとって日本は、売れない時代から自分たちを信じ続けてくれた「第2の故郷」であり、その絆は世代を超えて今なお受け継がれています。
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