個人的に昔から電子楽器の音が好きだったため、プログレッシブ・ロックが好きになったのか、それともプログレッシブ・ロックの影響で電子楽器が好きになったのかはわかりません。しかし、そのことがきっかけでテクノポップも好きになったのは、ある意味で必然だったのかもしれません。
テクノポップの代表といえば、まずYMOが思い浮かびます。初めてプログレッシブ・ロックを聴いたときと同じように、大きな衝撃を受け、夢中になった覚えがあります。YMOは日本だけでなく世界的な人気を獲得し、海外ツアーも行っています。
YMOの曲をマイケル・ジャクソンがカバーしたことを知ったのは、かなり後になってからでした。正確には、YMOの「ビハインド・ザ・マスク」をエリック・クラプトンがカバーし、さらにその曲をマイケル・ジャクソンがカバーした、という流れのようです。
海外の著名なミュージシャンが日本の曲をカバーする例はほかにもあるかもしれませんが、複数の世界的なミュージシャンにカバーされた例は、そう多くないのではないでしょうか。
YMO以外では、ドイツのクラフトワークも好きです。「アウトバーン」や「ショールーム・ダミーズ」などは日本でも有名ですが、クラフトワークはYMOよりも前に結成されているため、YMOに影響を与えたミュージシャンの一つと言えるでしょう。
※70年代のテクノポップの雰囲気を残してSunoでアルバムを作ってみました
◆テクノポップの歴史
テクノポップ(Technopop)は、シンセサイザーやシーケンサー、ボコーダーといった電子楽器を前面に押し出した、キャッチーで未来的(レトロフューチャー)なポピュラー音楽のジャンルです。1970年代後半の誕生から現在に至るまで、音楽シーンに大きな影響を与え続けています。
誕生と世界的な台頭(1970年代後半) テクノポップの原点は、ドイツの電子音楽グループ「クラフトワーク」にあります。彼らがアコースティック楽器を排し、電子音のみで構築したポップミュージックを提示したことがすべての始まりでした。 この潮流を決定づけたのが、1978年に日本で結成された
です。細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一の3人は、コンピューターによる自動演奏(打ち込み)と鋭いポップセンスを融合させ、世界中で大ブレイクを果たしました。YMO(イエロー・マジック・オーケストラ) 代表的エピソード:世界を驚かせたコンピューター演奏 YMOの初期の海外ツアーにおいて、シンセサイザーやシーケンサー(当時は大型で高価な機材)をステージ上に並べて自動演奏させるスタイルは、当時の音楽関係者に大きな衝撃を与えました。生演奏が当たり前だった時代において、コンピューターが正確無比なリズムを刻み続けるステージングは「未来の音楽がやってきた」と絶賛され、世界中に「テクノポップ」という概念を一気に浸透させました。
日本での大ブームと「テクノ御三家」(1980年代) 1980年代に入ると、YMOの成功に触発されたニュー・ウェイヴ系のバンドが続々と登場します。特に「テクノ御三家」と呼ばれたプラスチックス、ヒカシュー、
(平沢進ら)は、それぞれ個性的なアプローチでインディーズ・シーンや若者文化を牽引しました。 さらにこのサウンドは歌謡界にも急速に波及。「テクノ歌謡」と呼ばれるジャンルが生まれ、アイドルや歌謡曲の楽曲にシンセサイザーの打ち込みやボコーダーが多用されるなど、お茶の間の定番サウンドとなりました。P-MODEL ニュー・シンセポップと多様化(1990年代〜2000年代) 1990年代以降、本場のテクノやハウス・ミュージックがダンスフロアを中心に進化する一方で、テクノポップのキャッチーな精神は「シンセポップ」などの形で脈々と受け継がれます。2000年代半ばには、プロデューサーの中田ヤスタカが手がける
が登場。オートチューン加工を施したボーカルとエレクトロサウンドを完璧なダンスパフォーマンスと融合させ、テクノポップを再びメインストリームの頂点へと押し上げました。Perfume 現代への継承(2010年代以降〜現在) 現代では、VOCALOID(初音ミクなど)を用いたボカロ曲や、現代のDTM制作によるポップスにその遺伝子が色濃く受け継がれています。無機質な電子音と人間の親しみやすいメロディの融合というテクノポップの魅力は、今なお形を変えながら世界中のクリエイターやリスナーを魅了しています。


