洋楽ばかりを追いかけていた私が、邦楽の持つ洗練された響きに初めて心から打ちのめされた原点は、荒井由実の初期アルバムにあります。
今回は、日本のポップス史に燦然と輝く彼女の初期3枚のアルバムを振り返りつつ、プロデュースの背景や、のちに松任谷姓となってからの軌跡、そして「名前とアイデンティティ」について感じたことを綴ります。
衝撃を受けた荒井由実の初期3枚
それまでの私は洋楽を中心に聴いており、当時の一般的な邦楽(フォークや歌謡曲)に対してはどこか距離を置いていました。そんな価値観を一変させたのが、友人から借りて聴いた荒井由実の初期3枚のアルバムでした。
驚いたことに、捨て曲が一つもないどころか、収録されたすべての楽曲が完璧に自分の趣味に合致していたのです。従来の日本の音楽にはなかったコード進行や情景描写、洗練されたアレンジ。そこには圧倒的な都会的センスが溢れており、一瞬で魅了されてしまいました。
事実として、この初期3作品は日本のニューミュージックの礎を築いた名盤として記録されています。
1stアルバム:『ひこうき雲』
発表年月:1973年11月
概要:キャラメル・ママ(細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆)がバックを務め、表題曲「ひこうき雲」をはじめ、早熟な死生観とリリカルな世界観が際立つデビュー作。
2ndアルバム:『MISSLIM(ミスリム)』
発表年月:1974年10月
概要:「生まれた街で」「やさしさに包まれたなら」「12月の雨」などを収録。シュガー・ベイブの山下達郎や大貫妙子らがコーラスで参加し、ポップスとしての完成度をさらに高めた2作目。
3rdアルバム:『COBALT HOUR(コバルト・アワー)』
発表年月:1975年6月
概要:「卒業写真」「ルージュの伝言」といった国民的ヒット曲を収録。ドライブ感のあるサウンドとともに、都会的でハイカラなリゾート感覚や若者文化を描き出した傑作。
プロデューサーの意図と「声」の変遷
以前、NHKのドキュメンタリー番組(※私の記憶によるものですが)で、興味深い制作背景が語られていたのを覚えています。
初期の3枚を手がけたのは、音楽プロデューサーの村井邦彦氏でした。番組内の証言によれば、当時の荒井由実は天然のビブラートがかかった特徴的な声をしており、制作陣はそれを矯正するためにボイストレーニングを受けさせていたといいます。端正でフラットな歌唱を求めるプロデューサーの美学が、初期作品の独特な透明感を生み出していたのかもしれません。
その後、松任谷正隆氏と結婚して「松任谷由実」となってからの楽曲を聴くと、彼女本来のビブラートを隠すことなく、むしろ個性として前面に出して歌っているように感じられます。表現者としての成熟に伴い、自身の資質をありのままに活かす方向へとシフトしていったのではないかと推測しています。
松任谷由実への移行と「名前」を巡る私見
結婚して「松任谷由実」となってからは、私自身、学生時代のようにアルバム単位で通して聴く機会は減りました。それでも、街やメディアから流れてくる数々のヒット曲には好きな曲が多く、現在でも邦楽の中では比較的よく聴くミュージシャンの一人であり続けています。
ここで改めて考えさせられるのが、「名前」という存在についてです。
通常、音楽業界において「荒井由実」という圧倒的な知名度とブランドを確立していれば、結婚後も活動名義としてそのまま旧姓を使い続けるのが合理的と考えられがちです。しかし彼女は何の躊躇もなく名字を「松任谷」へと変えました。そして周知の通り、松任谷由実名義となってから、前名義をさらに上回る前人未到の実績を積み重ねていきました。
昨今、選択的夫婦別姓などを巡る議論の中で、「名字が変わることで自分のアイデンティティが失われてしまう」と主張する声を耳にすることがあります。
しかし、荒井由実から松任谷由実への歩みを見ていると、改名によって実際に失われる可能性があるのは、外向けに認知された「単なる知名度や記号」に過ぎないのではないかと思わされます。
個人の本質、作品に宿る美意識、そして積み上げていく才能――そうした真のアイデンティティは、名字が変わった程度で揺らぐような薄っぺらなものではありません。名前というラベルが変わったくらいで簡単に消失してしまうようなアイデンティティであれば、それは最初から大した実体のないものであり、失われたところで本質的な影響はないのではないか。彼女の堂々たるキャリアを振り返るたび、個人的にその感を強くします。
名盤『ひこうき雲』から半世紀以上が過ぎた今も、彼女の音楽が色褪せないのは、名前という器に依存しない圧倒的な表現力そのものが存在し続けているからに他なりません。
眠れない夜は穏やかなBGMがおすすめです。
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